― 指導者として、つい見落としてしまうこと ―
新入社員研修の最終日が終わった。
3日間のテーマはシンプルである。
関係性
主体性
行動
この順番で積み上げていく設計だった。
偉そうに書いているが
正直に言うと、私自身も毎回「本当にこれで届くのか」と少し不安になる。
まあ、その不安があるうちは、まだ大丈夫かなとも思っている。
最終日が終わり、片付けをしていると
一人の社員が話しかけてきた。
R君である。
「ちょっといいですか」
この一言は、いつも少し嬉しい。
なぜなら、研修の価値は
この“終わった後の数分”に出ることが多いからだ。
彼はこう言った。
「全社員に自己紹介を出そうと思ったんですけど…やめました」
理由を聞くと
「最初にやると、浮くかなと思って」
なるほど、である。
指導者の立場からすると
「やればいいじゃないか」と言いたくなる場面かもしれない。
実は私も昔はよく言っていた。
そして、大体うまくいかなかった。
ここに一つの構造がある。
若手が動かないとき
私たちはついこう考える。
・やる気がないのではないか
・意識が低いのではないか
・まだ甘いのではないか
しかし現場で起きているのは、少し違う。
やりたい気持ちはある。
むしろ
評価されたい
認められたい
その気持ちは、かなり強い。
ただその前に
浮くのが怖い
どう見られるかが気になる
失敗したらどうしよう
という“自動思考”が立ち上がる。
主体性がないのではない。
主体性は、ある。
ただ、その前に
見えないブレーキがある。
ここで指導者として一つ問いが出てくる。
私たちは
行動を見て評価しているのか
それとも
行動を止めている構造を見ているのか
である。
今回の研修では
この構造を整理した。
人は出来事そのものではなく
「どう捉えたか」で反応が変わる。
同じ場面でも
・チャンスと捉える人
・リスクと捉える人
がいる。
能力の差というより
捉え方の差である。
さらにもう一つ。
チームの状態も大きく影響する。
心理的安全性が高いだけでは
いわゆる「ぬるいチーム」になる。
基準が高いだけでは
萎縮したチームになる。
指導者として難しいのはここである。
安心させすぎてもいけない
締めすぎてもいけない
ちょうどよいバランスを探り続ける必要がある。
私自身、いまだに試行錯誤中である。
R君との会話の中で
もう一つ印象的な話があった。
「共通の敵を作ると団結しますよね」
これは現場感覚としては、よく分かる。
ただし
扱いを間違えると、かなり危ない。
人を敵にするのか
課題を敵にするのか
この違いは大きい。
前者は分断を生み
後者は成長を生む。
…と、きれいに言っているが
現場ではなかなかそんなにうまくはいかない。
だから面白いとも言える。
話を終えたあと
彼の表情は少し柔らいでいた。
特別なことはしていない。
ただ
自分の中にあったものを
言葉にできただけである。
主体性とは何か。
それは
恐れがなくなることではない。
恐れがあっても
選択できること
である。
そしてそのために
指導者ができることは
安心できる関係性をつくること
基準をあいまいにしないこと
小さな行動を積み重ねる場を設計すること
このあたりに尽きる。
シンプルだが
実行はなかなか手強い。
研修は終わった。
ただ
本番はここからである。
(これは毎回言っている気もするが、本当にそうだから仕方がない)
さて
目の前の選手や社員は
何を怖がっているのだろうか。
そして
私自身は
何を怖がっているのだろうか。
少しだけ、その“間”を見てみる。
指導は
そこから始まるのかもしれない。
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