失敗から学ぶことと、自分を責めることは違う

サッカーの現場では、ミスの後に選手が自分へ向ける言葉がある。

パスミスをした時。
失点に関わった時。
チャンスでシュートを外した時。
大事な場面で判断が遅れた時。

「何してんだよ、俺」
「自分のせいだ」
「次もミスしてしまうかもしれない」

そんな言葉が、頭の中を流れることがある。

もちろん、悔しさは大切だと思う。
責任感も大切だと思う。

うまくなりたい。
勝ちたい。
チームの役に立ちたい。

その気持ちがあるからこそ、ミスを悔しく感じる。
だから、自分に厳しい言葉が出てくること自体を、すぐに否定したいわけではない。

ただ、ここで一つ分けて考えたいことがある。

プレーを振り返ることと、自分自身を否定することは違う。

たとえば、

「あの場面では、もう少し早く周りを見ておけばよかった」
「次はファーストタッチの置きどころを変えてみよう」
「味方の動きを見てから判断しよう」

これは、プレーの振り返りである。

次に何を変えられるかを考えている。

一方で、

「自分はだめだ」
「自分には価値がない」
「自分がいると迷惑をかける」

となってしまうと、プレーの反省を超えて、自分全体を責める方向に行ってしまう。

「パスの判断を改善したい」と、
「自分はだめな人間だ」は、まったく違う。

でも、ミスの直後は、この二つがくっつきやすい。

私自身も、これはよく分かる。

選手を支える立場でありながら、私の中にも、

「役に立たなければ価値がない」

という思い込みがあることに気づくことがある。

何か成果を出さなければ。
誰かの役に立たなければ。
そうでない自分には価値がないのではないか。

そんな方向に心が引っ張られることがある。

だからこそ、選手たちにも伝えたい。

役に立ちたいという願いは、とても大切だと思う。
チームのためにプレーしたいという思いも、大切にしたい。

でも、

役に立ちたいことと、
役に立たなければ価値がないことは違う。

結果を求めることと、自分を大切にすることは、両立できる。

ミスをなかったことにする必要はない。
悔しさをごまかす必要もない。
改善すべきことは、具体的に見ればいい。

ただ、その時に、自分の存在価値まで一緒に傷つけなくていい。

周囲の大人にできることも、ここにあると思う。

必要な改善は伝える。
基準を下げる必要はない。

「今の判断はどうだったか」
「次は何を見ておきたいか」
「もう一度同じ場面が来たら、どうしてみたいか」

そうやって、プレーを具体的に振り返ることは大切である。

一方で、その選手への尊重は変えない。

ミスをしたから、その子の価値が下がるわけではない。
失点に関わったから、その選手がだめなわけではない。

ここを分けて関わることが、とても大切だと思う。

ただし、質問も簡単ではない。

「なんであそこでミスしたの?」
「どうして判断が遅れたの?」

同じ問いでも、声の調子や表情によっては、子どもには詰問のように聞こえることがある。

これは私自身も気をつけたいところである。
穏やかに聞いているつもりでも、眉間にしっかりシワが寄っていることがある。(笑)

だから、落ち着いて話せるタイミングで、

「あの場面、本人にはどう見えていたのか」
「次はどうしてみたいのか」

を一緒に整理していく。

安心とは、何をしてもいいということではない。
基準を下げることでもない。

安心とは、ミスをした後でも、もう一度考えられる土台のことだと思う。

その土台があるから、選手は次のプレーに戻りやすくなる。

私が大切にしているリバウンドメンタリティーの土台には、

人には本来、崩れても戻る力がある

という人間観がある。

大人が無理に戻してあげるのではなく、本人の中にある戻る力を信じる。
そして、その力が出やすい関係や環境を育てる。

ミスをしない選手を育てることはできない。
でも、ミスの後に戻れる選手を育てることはできるかもしれない。

プレーを振り返る。
でも、自分を責め続けない。
悔しさを大切にする。
でも、自分の価値までは否定しない。

そんな関わりを、選手とも、大人同士でも、少しずつ育てていきたい。

ミスの後、次のプレーを考えられるように。
私たちは、どんな言葉をかけられるでしょうか。

リバウンドメンタリティーについては、こちらにまとめています。
https://family-flow.net/リバウンドメンタリティーとは/

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