「怪我」を転機に、自分を問い直したある選手の話
ある大学生アスリートが大きな怪我を負い、復帰まで半年以上を要する手術を決意しました。彼はプレイヤーとして戻るかどうかを含めて、この夏「一度サッカーから離れる」という選択をしたのです。
指導者として、選手がこうした「離脱」を選ぶとき、私たちはどう向き合えばいいのでしょうか?
見えてきたのは「プレー」よりも「人生」
この選手が印象的だったのは、ただ復帰のことを考えるのではなく、**「そもそも自分はなぜサッカーをしているのか?」**という問いに真正面から向き合っていたことです。
- サッカーをする理由は「幸せになるため」であり、「プロになるため」ではない
- 「サッカーはあくまでその手段の一つ」
- 今のまま続けるのが本当に自分の幸せかどうか、見直す時間がほしい
これは、多くの育成年代の選手にとっても大切な問いです。そしてこの問いを、私たち指導者が普段から促せているか、改めて考えさせられました。
自己一致の感覚が生む「納得の怪我」
興味深かったのは、選手本人がこう語っていたことです。
「悔しいというより、『来たか』って思いました。むしろ、少しホッとした自分もいたんです」
痛みや失望よりも、「納得」や「開放感」。そこには、自分に正直になれていなかった時間と、無意識のサインを受け取った感覚がありました。
指導者としてはつい、「次に向けてどうするか?」を焦って語りがちですが、こうした「自分の内側との対話の時間」を大切にしているかを問われる場面です。
休部期間は「遠回り」ではない
この選手は、休部期間(サッカーからの離脱期間)に以下のようなことを計画していました。
- 他競技のプロスポーツ観戦
- 農業やボランティアなど、生活に根ざした体験
- 芸術・文化への興味を深める勉強
- 家族との旅行や対話
これらはすべて、「幸せとは何か」を自分の感性で掴むための行動です。プレーの質を高めるためではなく、自分自身を取り戻すための時間。こうした視点を尊重し、サポートできる指導者でありたいと強く感じました。
【指導者への問いかけ】
- あなたは「プレー以外の体験」の価値を、選手にどれだけ伝えられているだろうか?
- 選手の「内的動機」に耳を傾ける余裕はあるだろうか?
- 競技から一時的に離れる選手に、どんな視線を向けているだろうか?
休部期間は、選手にとっての「迷いの時期」ではなく、「軸を取り戻す時間」です。指導者の役割は、見守り、寄り添い、そして本人の選択を信じることなのかもしれません。