先日、あるサッカー部で、
コーチ陣向けの「指導者ラボ」を実施しました。
テーマは、
「教えるを手放す」
です。
…と書くと、少しカッコよく聞こえますが、
実際の現場は、
「いや、手放したら不安なんですけど」
という空気からスタートしていました。
それがまた、すごくリアルで良かったんですよね。
今回の参加者は、若手コーチや大学院生コーチが中心でした。
これから現場で指導者として歩んでいく人たちです。
最初は、やっぱり少し緊張感がありました。
特に面白かったのは、
拍手とか「いいね!」をやる時の、あの微妙な照れです。
「あ、これ本当にやるんですね」
みたいな空気。
サッカー部特有の、
“熱いけどちょっと照れる文化”
があります。
私も最初に、
「先生じゃなくて、“あきらさん”で大丈夫ですよ」
と伝えたんですが、
最初の30分くらいは、
「あ…はい…西田先生…」
になっていました。
その感じも、なんだか初々しかったですね。
でも、対話が進むにつれて、少しずつ空気が変わっていきました。
今回のラボは、
「正解を教わる場」
ではなく、
「一緒に探究する場」
としてスタートしました。
だから、
「どうすれば正しいですか?」
より、
「現場で今、何に迷っているか?」
を大事にしたんです。
すると、いろんな本音が出てきました。
距離感が難しい。
主体性を待てない。
つい口を出してしまう。
厳しくすると関係が遠くなる。
でも、優しくしすぎると緩くなる気もする。
どの話も、本当にリアルでした。
そして印象的だったのは、
“良い指導者ほど、自分を責めやすい”
ということです。
選手が伸びないと、
「自分の関わりが悪かったんじゃないか」
と思ってしまう。
でも実は、悩んでいるということ自体が、
ちゃんと選手に向き合っている証拠でもあるんですよね。
今回あらためて感じたのは、
心理的安全性って、
「何をしてもOK」
という意味ではないということです。
むしろ、
高い基準がある。
でも、その中で、
失敗や迷いを隠さなくていい。
これが大事なんだと思います。
例えば、
「うまくいかなかった」
を、
“ダメなこと”
として扱うのではなく、
「ひとつの実験結果」
として共有できる。
この空気があるチームは、やっぱり強いです。
逆に、
失敗を隠す文化になると、
人は考えなくなります。
怒られない方法を探し始める。
でも、
「これは失敗だったな」
「次こうしてみよう」
が言えると、
チームに“学習”が起き始める。
今回のラボの最後も、
「明日から何を実験してみますか?」
という問いで終わりました。
これが、すごく良かったんです。
正解発表ではなく、
“探究の続き”として終われた感じがありました。
実は、私自身も大学時代、
ずっと順調だったわけではありません。
サッカーへの情熱を失いかけた時期もありました。
部活が停止になった経験もあります。
当時は、
「なんでこんなことになるんだ」
と思っていました。
でも今振り返ると、
あの時期があったから、
“うまくいかない人の気持ち”
を少し理解できるようになった気がしています。
だから最近は、
指導者に必要なのは、
「完璧であること」
ではなく、
“探究者であること”
なんじゃないかと思うんです。
迷わない人ではなく、
迷いながらも考え続けられる人。
選手に答えを与え続ける人ではなく、
一緒に問い続けられる人。
そういう指導者が増えると、
チームの主体性も少しずつ育っていく気がしています。
あなたのチームでは、
「迷っていること」
を話せていますか?
失敗は、
「隠すもの」
になっていますか?
それとも、
「学び合う材料」
になっていますか?
私自身も、まだまだ探求中です。
「安心と主体性」
「崩れても戻れる力」
「心の体幹」
そんなテーマを、これからも現場で探究していきたいと思っています。
それにしても若い指導者とのグループセッションに
いい刺激を頂けました。
改めてこのような機会を頂いた監督、コーチの皆様に感謝いたします!
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