教えるを手放すと、ちょっと楽になる話

散歩をしているとき、ふと思いました。

自分はいったい、何をやっている人なんだろうかと。


会社をつくって数年。

中学生、高校生、大学生、社会人。
指導者や保護者にも関わっています。

改めて並べてみると

「だいぶ手を広げてるな…」

と自分でも少し笑ってしまいます。


でも現場で起きていることは、どこもよく似ています。

・声が出ない
・主体性がない
・指示待ちになる

そして多くの場合

「やる気がない」のではなく
「そうなる関わり方になっている」


だから私は

あまり教えません。

(正確に言うと、教えすぎないようにしています)


例えば、あるチームで「声」をテーマにセッションをしました。

選手に聞きます。

「声、出てる?」

返ってきたのは

「出そうとしてるけど出ないです」


なるほど、正直です。

そこで「出し方」を教えるのはやめました。

代わりに

「失点した瞬間、何考えてる?」

と聞いてみます。


「やばいって思ってます」
「負けるかもって思ってます」

ですよね、と思いながら聞きます。


じゃあ、こういうのはどうだろう。

「大丈夫、落ち着こう!」

とりあえず言ってみる。

その場でやってみる。


最初はぎこちないんですが
少しずつ変わってきます。

声というより、空気が変わる。


翌日。

Bチームの監督が言いました。

「びっくりしましたよ。
練習で今までにないくらいみんな声が出てたんです」


でもこれは

「声を出そう」と言ったからではありません。

自分たちで気づいて
自分たちで言葉にして
ちょっとやってみた

その結果として

声が“出てしまった”だけです。


ここで思うのは

声は結果だな、ということです。


じゃあ何を変えるのか。

声ではなく、その前にある関係性や状態です。


そしてもう一つ。

ここがなかなか手強いところです。

指導者の関わり方。


多くの指導者は

自分が育ってきたやり方を
自然と選びます。

厳しく言われてきた
細かく指示されてきた

それで成長した実感がある。


だから同じようにやる。

とても自然なことです。

私も気を抜くと、すぐそっちに寄ります。

(「それ違うよ」と言いたくなる自分は、ちゃんといます)


でも、です。

その関わり方が

・考えない選手
・ミスを恐れる選手
・声が止まるチーム

をつくっているとしたら。


少しだけ、やり方を変えてみる価値はあります。


「教えるを手放す」

という選択です。


教えない、ではありません。

手放す、です。


・すぐに答えを言わない
・少し待つ
・任せてみる

正直、怖いです。

大丈夫かな、と思います。


でもここを少し越えると

選手が変わり始めます。


自分で考える
自分で決める
自分で振り返る


そしてあるとき

「自分たちでやってる感じがします」

と、さらっと言われます。


その瞬間

ああ、これかと思います。


とはいえ、これは完成形ではありません。

私自身も、まだまだ探求中です。

「手放したつもりで、全然手放してなかったな」

なんてことも普通にあります。


それでも

少しずつでも

選手に任せられる指導者が増えていったらいいなと思っています。


選手に任せられる指導者のもとでは

選手が育ち
チームが変わり
文化が生まれていく


だから今、自分のやっていることを一言で言うなら

「教えるを手放す練習を一緒にしている人」

かもしれません。

(まだ修行中です)


もし今

「声が出ない」
「主体性がない」

と感じているなら

やることは一つです。


出させることではなく
出る状態をつくること。


そのために

どこまで任せるか。


あなたは、どこまで任せていますか。

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