──ある学生審判との対話から見えたこと
今日はオンラインで数人のセッションがあった。
サッカー選手。学生。社会人。
それぞれテーマは違う。
しかし共通していたものがあった。
「結果と自分の価値の関係」
その中で印象的だった、ある学生の話を紹介したい。
ずっと結果を出してきた学生
彼はいわゆるエリートだ。
日本でもトップレベルの進学校を出て
難関大学の医学部に現役合格。
これまでずっと結果を出してきた。
勉強でも
評価でも
競争でも。
そして今、彼はサッカーの審判として高いレベルを目指している。
目標は将来、プロリーグの審判になることだ。
ところが、ある悩みがある
試合中、選手に対して
カードを出す判断ができない。
理由を聞くと、彼はこう言った。
「自分より結果を出している選手にビビってしまうんです」
医学部に現役合格した学生が
トップレベルの選手にビビる。
少し意外に聞こえるかもしれない。
しかしこれは珍しいことではない。
結果を出してきた人の落とし穴
結果を出してきた人ほど
結果=自己価値
という思い込みが強くなる。
つまり
結果を出す人
=
価値がある人
という無意識の前提。
この思い込みが強いとどうなるか。
自分より結果を出している人を前にすると
萎縮する
遠慮する
判断が鈍る
審判としての役割より
相手の「結果」に引っ張られてしまう。
本来の役割は何か
審判の役割は
ゲームを守ること。
選手の実績とは関係ない。
プロでも
大学生でも
高校生でも
ルールは同じ。
しかし
結果=価値
という前提が強いと
この当たり前の判断が難しくなる。
実は選手にも同じことが起きている
これは審判だけの話ではない。
選手にもよく起きる。
例えば
強いチームと試合をするとき
有名選手と対戦するとき
急にプレーが消極的になる選手がいる。
理由はシンプルだ。
「相手の結果」に飲まれている。
私も若い頃は結果にずいぶん振り回された。
今もたまに振り回されるけれど。
指導者ができること
ここで大切なのは
結果を出すことを否定することではない。
結果は大事だ。
ただし
結果と価値を分けて伝えること。
例えば
結果を出したときは
「よくやった」
だけで終わらない。
「どんな判断が良かったのか」
「どんな準備が良かったのか」
を言葉にする。
逆に結果が出なかったときも
人間の価値まで否定しない。
承認には段階がある
私は学生によくこんな話をする。
承認には段階がある。
結果承認
能力承認
存在承認
多くのスポーツの世界は
結果承認が中心になりやすい。
それ自体は悪いことではない。
しかし
結果承認だけになると
結果が出ない
=
価値がない
という思い込みが生まれる。
気づきが始まる瞬間
彼は最後にこう言った。
「結果と価値を分けるのは難しいですね」
その通りだ。
簡単ではない。
しかし
気づいた瞬間から世界は少し変わる。
今日のセッションは
そんな時間だった。
指導者への問い
あなたのチームでは
「結果」と「人の価値」
はどのように扱われているだろうか。
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