長友佑都選手と堂安律選手の対談を見ていて、しばらく心に残ったことがありました。
二人とも、ただサッカーがうまい選手ではない。
もちろん技術も経験も実績もある。
でも、それ以上に感じたのは、物事の捉え方そのものが変わってきているということでした。
成長とは、うまくなることだけではない。
ミスをどう捉えるか。
評価をどう捉えるか。
成功をどう捉えるか。
自分の役割をどう捉えるか。
そこが変わることも、大きな成長なのだと思います。
長友選手の「未完成でいる力」
長友選手は、ワールドカップに5大会連続で出場するほどの実績を積み重ねてきた選手です。
それでも対談の中では、まだ満足していない。
世界最高峰の選手と比べれば、自分はまだ小さい存在だ。
そんな趣旨の言葉がありました。
これを単に「向上心がすごい」「メンタルが強い」で終わらせるのは、少しもったいない気がします。
私には、
自分を信じながら、自分を完成させない
という状態に見えました。
「自分はダメだから頑張る」ではない。
「ここまでやってきた。でも、まだ伸びられる」という感覚。
これは、自己否定ではなく、自己信頼を土台にした未完成感なのだと思います。
若い頃は、
「自分が成功したい」
「世界で認められたい」
「自分を証明したい」
という思いも強かったのかもしれません。
でも経験を重ねる中で、
日本代表に何を残すか。
後輩に何を渡すか。
日本サッカーに何を還元するか。
そんな大きな視点へ広がっているように感じました。
自分がどう成功するかから、
自分の経験を何のために使うかへ。
ここに、捉え方の成長があるのではないでしょうか。
堂安選手の「自分の基準を持つ力」
堂安選手の言葉からは、他者評価から自分自身の基準へ向かう力を感じました。
周囲からどう見られるか。
批判されるか。
結果を出せるか。
当然、トップ選手でも評価は気になるはずです。
でも、堂安選手の言葉には、
「自分はどうプレーしたいのか」
「自分がチームを勝たせる」
「10番としての責任を引き受ける」
という基準が見えます。
これは、
どう見られるかから、
自分はどうありたいかへ。
という変化なのだと思います。
もちろん、他人軸が悪いわけではありません。
評価されたい。
期待に応えたい。
試合に出たい。
それは選手として自然な気持ちです。
ただ、他者評価だけが自分の価値の基準になると、選手は崩れやすくなります。
ミスをした時に、
「評価が下がる」
「怒られる」
「もう使われない」
と捉えてしまうからです。
選手はミスそのもので崩れるのではない
育成年代の現場でも、同じことが起きています。
たとえば、パスミスをした。
出来事としては、ただのパスミスです。
でも、その後の頭の中で、
「やばい」
「怒られる」
「評価が下がる」
「交代させられる」
「自分はダメだ」
という言葉が流れる。
すると、体が硬くなる。
次のプレーが消極的になる。
声が出なくなる。
さらにミスが増える。
選手はミスそのもので崩れるのではなく、ミスの後の捉え方で崩れていくことがあるのです。
ここに、リバウンドメンタリティーの大切な視点があります。
コーチングとは、選手の「B」を増やす関わり
ABC理論では、出来事をA、その捉え方をB、その結果として起きる感情や行動をCと見ます。
指導者は、ついAとCを見ます。
ミスをした。
声が出ない。
動きが悪い。
切り替えが遅い。
だから、
「ミスするな」
「切り替えろ」
「もっと声を出せ」
と言いたくなる。
もちろん、必要な要求もあります。
基準を伝えることも、教えることも大切です。
ただ、それだけでは選手のBは変わらないことがあります。
「今のプレー、どう見えていた?」
「今のミスから何が分かった?」
「次にできることは何?」
「評価ではなく、自分の基準に戻るなら何をする?」
こうした問いが、選手のBを増やします。
コーチングとは、選手の「B」を増やす関わりでもある。
私は、最近そう感じています。
リバウンドメンタリティーは、捉え方の発達を支える
リバウンドメンタリティーとは、崩れない力ではありません。
崩れても戻る力です。
でも、戻るとは、ただ元の状態に戻ることだけではありません。
出来事を捉え直し、少し違う見方を持って、次の一歩に進むことでもあります。
出来事が起きる。
自動思考が出る。
感情や行動が揺れる。
自分の捉え方に気づく。
別の見方を持つ。
戻る言葉を選ぶ。
小さな行動を選ぶ。
この流れを育てることが、リバウンドメンタリティーの実践です。
そしてそれは、単なるメンタルトレーニングではなく、捉え方の発達を支えるプロセスなのだと思います。
指導者に問われていること
私たちは、選手の「できること」だけを育てていないでしょうか。
技術。
フィジカル。
判断。
戦術理解。
もちろん、それらは大切です。
でも同時に、その選手が失敗をどう捉えるのか。
評価をどう受け取るのか。
比較や批判の中で、何に戻るのか。
そこまで見ているでしょうか。
長友選手や堂安選手の言葉から見えるのは、トップ選手のすごさだけではありません。
成長とは、世界の見方が変わることでもある。
そのことを、あらためて教えてもらった気がします。
選手を育てるとは、
技術を教えることだけではなく、
その選手が世界をどう見るかを育てることなのかもしれません。
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