〜シャドーボクシングからシャドウワークへ〜
選手や子どもの言動に、どうしても腹が立ってしまうことはないでしょうか。
「なぜ、言われたことをやらないんだろう」
「どうして、もっと真剣に取り組まないんだろう」
「せっかく応援しているのに、本人にはやる気があるのだろうか」
「何度言えば分かるんだろう」
指導者として、あるいは保護者として、子どもの成長を願っているからこそ、強く反応してしまうことがあります。
もちろん、実際に子どもの行動に課題がある場合もあります。
時間を守らない。
話を聞かない。
練習に集中しない。
ミスを人のせいにする。
感謝や挨拶が足りない。
その行動について注意したり、必要なことを伝えたりすることは大切です。
ただ、本当の問題は、その場だけではないのかもしれません。
練習や試合が終わっても考えてしまう。
家に帰ってからも思い出してしまう。
「あの態度は何だったんだ」と、頭の中で何度も再生してしまう。
相手はもう目の前にいないのに、自分の心の中では、まだ試合が続いている。
私はこれを、少しユーモアを込めて、心の中のシャドーボクシングと呼んでいます。
試合終了の笛は鳴っている。
選手も子どもも、もう別のことをしている。
それなのに、こちらの頭の中では延長戦。
帰りの車でも延長戦。
お風呂の中でも再延長。
寝る前には、問題の場面をハイライト再生。
これは、なかなか疲れます。
そして、この状態が続くと、本来使いたいところにエネルギーを使えなくなってしまいます。
目の前の選手をよく見ること。
子どもの話を聴くこと。
自分自身を整えること。
チームや家族との時間を楽しむこと。
そこに向かうはずのエネルギーが、頭の中の「あの子問題」に奪われ続けてしまうのです。
さらに、その怒りを抱えたまま子どもと接すると、言葉にしなくても相手に伝わります。
声のトーンが硬くなる。
表情がこわばる。
細かいことまで気になる。
必要以上に問い詰めてしまう。
ほかの子と比べたくなる。
すると子どもも防御的になり、本音を話さなくなります。
「何を言っても怒られる」
「どうせ分かってもらえない」
そう感じると、対話が難しくなり、こちらはさらに不安や苛立ちを感じます。
怒りの奥にある「自分のルール」
では、どうすればよいのでしょうか。
そこで役立つのが、シャドウワークという考え方です。
シャドウとは、自分の中にありながら、認めにくいもの、抑えてきたもの、許せていないものです。
例えば、自分自身が子どもの頃から、
「人に迷惑をかけてはいけない」
「努力しなければ認めてもらえない」
「試合に出るなら弱音を吐いてはいけない」
「指導者の言うことは聞くべきだ」
「親に心配をかけてはいけない」
と考え、一生懸命に頑張ってきたとします。
その人ほど、自由に振る舞う子、弱音を吐く子、指示に従わない子、努力していないように見える子に強く反応することがあります。
なぜなら、その子が、自分が長い間禁止してきたものを目の前で表現しているように見えるからです。
怒りの奥には、子どもの問題だけでなく、
自分が大切にしてきたルール
自分が我慢しながら守ってきた基準
本当は自分にも許してあげたかったこと
が隠れている場合があります。
例えば、「もっと真剣にやれ」と腹を立てているとき、その奥には、
「努力しなければ価値がない」
「結果を出さなければ認めてもらえない」
という、自分自身への厳しい思い込みがあるかもしれません。
もちろん、だからといって子どもの問題行動をすべて認める必要はありません。
時間を守らなければ、守ることの意味を伝える。
人を傷つけたなら、向き合ってもらう。
チームの約束があるなら、その責任を考えてもらう。
必要な基準を示すことと、怒りに飲み込まれることは別の話です。
シャドウワークとは、子どもを無理に許すことでも、その行動を正当化することでもありません。
それは、
「自分は、なぜここまで反応しているのだろう」
「自分の中の、どんなルールが刺激されたのだろう」
「私は、この子に何を分かってほしいのだろう」
「本当は、何を大切にしたいのだろう」
と、自分の内側に目を向けることです。
怒りに気づいたときの三つの問い
子どもの言動に強く反応したときは、すぐに答えを出さなくても構いません。
まず、次の三つを自分に問いかけてみてください。
1.私は、何に反応しているのか
子どもの行動そのものなのか。
自分が軽く扱われたように感じたのか。
期待を裏切られたと感じたのか。
自分の指導や子育てを否定されたように感じたのか。
まずは、反応している自分に気づきます。
2.その奥に、どんなルールがあるのか
「選手はこうあるべき」
「子どもは親の期待に応えるべき」
「一度決めたことは最後までやるべき」
そのルールが悪いわけではありません。
ただ、そのルールだけが唯一の正解になっていないかを、少し離れて眺めてみます。
3.私は、どんな関わりを選びたいのか
怒りをぶつけるのか。
少し時間を置くのか。
子どもの事情を聴くのか。
守ってほしい基準を冷静に伝えるのか。
相手の反応は選べなくても、自分の関わり方は選び直せます。
ざわつかないことより、ざわついても戻れること
私自身も、シャドウを意識するようになってから、以前より心の波に飲み込まれにくくなった感覚があります。
もちろん、今でもざわつくことはあります。
あります。かなりあります。
メンタルコーチだからといって、いつも湖面のように穏やかなわけではありません。
ただ、ざわついたときに、
「ああ、今、自分の中の何かが反応しているんだな」
「これは相手だけの問題ではなく、自分の内側を知るサインかもしれない」
と捉えられると、少し間をつくれるようになります。
大切なのは、何があってもざわつかない人になることではありません。
ざわついても、自分が大切にしたい関わり方へ戻れること。
これも、私が大切にしている「リバウンドメンタリティー」、つまり崩れても戻れる力の一つです。
「あの子が変われば」から「自分はどう関わるか」へ
成人発達理論では、周囲の期待に応え、社会のルールに適応できることは、大切な成長の一段階だと考えられています。
一方で、その価値観と自分が強く一体化していると、
「あの子は、なぜルールを守らないのか」
「あの子は、なぜ周囲に配慮しないのか」
「あの子が変われば、自分は楽になるのに」
と、意識が相手に奪われやすくなることがあります。
そこから一歩進み、
「自分は何を大切にしているのか」
「この場面で、どんな関わりを選びたいのか」
「自分のエネルギーをどこに使うのか」
と考えられるようになると、自分軸が育っていきます。
シャドーボクシングが続いているときは、私たちの意識が相手に支配されている状態です。
一方、シャドウワークは、自分の反応を客観的に見つめ、自分が大切にしたい関わり方を選び直す入口になります。
相手と頭の中で戦い続けるのではなく、怒りを通して自分を知る。
「あの子が悪い」で終わらせるのではなく、
「私は何を大切にしたいのか」
に戻る。
その転換ができると、子どもに奪われていたように感じていたエネルギーを、もう一度、子どもの成長、自分自身の成長、そしてより良い関係づくりに使えるようになります。
怒りは悪者ではありません。
怒りは、自分が大切にしているものを教えてくれるサインでもあります。
ただ、その怒りに一日中エネルギーを奪われ続ける必要はありません。
シャドーボクシングから、シャドウワークへ。
それは子どもを思いどおりに変えるためではなく、保護者や指導者が自分の心の主導権を取り戻すための、大切な一歩なのだと思います。
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