不祥事は「個人の問題」だけでは終わらない

弱さを出せないチーム文化が、問題を見えなくする

スポーツ現場の不祥事に関する報道を見るたびに、私は胸が痛みます。

もちろん、問題行動を起こした本人には責任があります。
そこを曖昧にしてはいけません。

ただ、個人の責任だけで終わらせてよいのだろうか、とも感じます。

「一部の選手が未熟だった」
「自覚が足りなかった」
「規律が足りなかった」

そう整理すると、わかりやすく見えます。

でも、それだけでは同じような問題がまた繰り返される可能性があります。

本当に見なければならないのは、

なぜ、その行動が起きたのか。
なぜ、周囲は止められなかったのか。
なぜ、問題が表に出るまで見えなかったのか。

そこにあるチーム文化です。

勝てば許される空気

競技成績を重視する現場では、結果を出すことが大きな価値になります。

勝利を目指すことは大切です。
高い基準で取り組むことも必要です。

ただ、その空気が強くなりすぎると、危うさも生まれます。

「勝てば許される」
「主力なら守られる」
「問題を出すとチームに迷惑がかかる」
「多少のことは内側で処理すればいい」

こうした雰囲気があると、問題は見えにくくなります。

表向きには規律がある。
でも、本音や違和感は言いにくい。

不祥事が起きる組織は、単に規律がないとは限りません。

むしろ、表向きの規律は強いこともあります。

ただ、本音を言える安心がない。

そこに、問題が見えないところで育つ余地が生まれます。

閉じた集団では、違和感を飲み込みやすい

部活動や寮生活には、大きな価値があります。

仲間意識が育つ。
同じ目標に向かえる。
濃い時間を共有できる。

一方で、外から見えにくい閉じた共同体にもなりやすい。

その中では、

「先輩がやっているから断れない」
「みんながやっているから止められない」
「注意すると空気を壊す」
「相談すると裏切り者になる」

という心理が働くことがあります。

これは、選手個人の弱さだけではありません。

その集団の空気が、違和感を言葉にする力を奪っていることがあります。

小さな違和感が見過ごされる。
誰かが少し無理をする。
本当は嫌だけど言えない。
周囲も気づいているけれど触れない。

その積み重ねの先に、問題が大きくなることがあります。

ストレスは、言葉にならないと別の形で出る

選手たちは、常に多くの圧力の中にいます。

試合に出られるか。
評価されるか。
序列が上がるか。
期待に応えられるか。
将来につながるか。

その圧力の中で、感情や悩みを安全に言葉にできないと、ストレスは別の形で出ることがあります。

飲酒、喫煙、薬物、暴力、いじめ、SNSトラブル、無気力、離脱。

形は違っても、根っこには共通するものがあるかもしれません。

弱さを出せない。
苦しさを相談できない。
自分の内面を扱う方法がない。

ここを見ないまま処分だけで終わると、再発防止は浅くなります。

問題行動の奥にある自動思考

リバウンドメンタリティーの視点で見ると、問題行動の奥には、その人の頭の中で回っていた言葉があります。

「みんなやっているから大丈夫」
「断ったら浮く」
「バレなければ問題ない」
「今だけ逃げたい」
「どうせ自分は評価されていない」

こうした自動思考の奥には、さらに深い思い込みがあるかもしれません。

弱さを出してはいけない。
悩みを相談すると評価が下がる。
チームに迷惑をかけてはいけない。
強い選手は我慢するものだ。
結果を出せば多少のことは許される。

もちろん、これらは問題行動を正当化するものではありません。

責任は責任として引き受ける必要があります。

ただ、奥にある自動思考やチーム文化の思い込みに気づかない限り、同じ構造は残り続けます。

不祥事を個人の問題だけで終わらせない。

その一歩は、問題行動の奥にある心の言葉と、チームの空気を見つめることから始まるのだと思います。

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