子どもたちへ――いつかこれを読む日のために
お前たちがこの文章を読むのは、もしかしたら俺がこの世にいないときかもしれない。 でも、それでいい。むしろ、そのつもりで、今こうして書いている。
父さんは今年60歳になる。 おじいちゃんも、ひいじいちゃんも、55歳で亡くなった。 だからずっと、「自分もそんなに長くは生きないかもしれない」と、どこかで思いながら生きてきた。 でも気がつけば、ありがたいことにこうして60歳を迎えている。
「いつ死んでもいいかもしれない」――そんな思いがふっとよぎるこの頃、 何が残せるのか?何を伝えておけるのか? そんなことを、自然に考えるようになった。
俺が誇れること
俺は大きな財産を残したわけでもない。 立派な肩書きや名声があるわけでもない。
でも、これだけは胸を張って言える。
「人の心と向き合ってきた」
たくさんの選手たちと、指導者と、親たちと。 悩みを聞き、泣き言を受け止め、ときに寄り添いながら、 「どうやったらこの人が、自分らしく前を向けるか」 ずっとそれを考え続けてきた。
それは、苦しいときもあったけど、 でも、やってよかったと心から思っている。
だからお前たちにも、もし何かの道で人に関わることがあったなら、 「ちゃんと向き合ってみろ」って、そっと伝えたい。
残したいもの
俺はもう、“無理に生きよう”とは思っていない。 でも、“大切に生きたい”とは思っている。
残したいものは、物じゃない。
背中と、言葉と、ぬくもりだ。
- どんなときも、自分の気持ちをごまかさなかったこと
- 誰かの痛みから逃げなかったこと
- 家族のことを、ずっと大事に想っていたこと
それが、人生の中で一番誇らしいことだった。
最後に伝えたいこと
もしこの文章を読んで、 「父さん、ちょっとかっこよかったな」と思ってくれたら、 それだけで俺はもう十分幸せだ。
でも、できればこう思ってくれたら、もっと嬉しい。
「自分も、自分の人生をちゃんと生きよう」って。
何があっても大丈夫。 失敗しても、遠回りしてもいい。 人を大切にしながら、自分を裏切らなければ、それでいい。
この世界に生まれてきてくれてありがとう。 お前たちの父として生きられたことが、俺の人生の誇りです。
心から、愛している。
父より