秋晴れの空と、爽やかな風。
長く関わっている大学サッカー部で、トップチームの練習を見学させてもらいました。
選手たちはみんな生き生きとボールを追い、活気のある声が飛び交っていました。
その様子を眺めているだけで、なんとも気持ちのいい時間でした。
すると、これまでセッションで関わってきた一人の選手が、私のところへ駆け寄ってきました。
そして隣に座り、この半年間に経験した苦労や、そこから感じたこと、今考えていることをいろいろと話してくれました。
頼んだわけではありません。
自分から来て、自分の言葉で報告してくれたのです。
これは、うれしかったですね。
セッションの成果がどうこうというより、時間がたっても「この人には話してみよう」と思ってくれたことが、何よりありがたく感じました。
その日は、練習見学のほかに三つの時間がありました。
監督との対話。
新入部員のグループセッション。
若手指導者とのコーチングラボ。
一日を振り返ってみると、リバウンドメンタリティーが「選手個人への支援」から「チーム文化づくり」へ、少しずつ進み始めているように感じました。
自分の崩れ方を知る
新入部員のセッションでは、まず自分のメンタル面の課題を話してもらいました。
「一度ミスすると引きずってしまう」
「大事な試合では身体が硬くなる」
「一度崩れると、どんどん下がってしまう」
「相手によって気持ちに波がある」
同じ「メンタルの課題」でも、崩れ方は一人ひとり違います。
大切なのは、それを「自分はメンタルが弱い」で終わらせないことです。
出来事のあと、頭の中でどんな言葉が流れ、どんな感情や身体反応が起き、次のプレーにどう影響したのか。
まず、自分に起きていることに気づく。
それが、戻れる力の第一歩になります。
選手を変える前に、自分を見る
その後のコーチングラボでは、こんな問いを扱いました。
「チームにマイナスの影響を与えているように見える選手に、指導者はどう関わるか?」
規律を守らない。
準備や片づけを怠る。
仲間やスタッフへの不満を口にする。
こうした選手を前にすると、指導者にも怒りや拒絶感が生まれます。
もちろん、チームとして大切にする基準を曖昧にする必要はありません。
ただ、その選手を裁く前に、
「自分はなぜ、これほど強く反応しているのだろう」
「自分の中の、どんな“〜すべき”が反応しているのだろう」
と、自分自身の内側を見ることも必要です。
叱ることと、基準を高く持つことは同じではありません。
安心とは、何でも許すことでもありません。
相手の可能性を切り捨てずに、必要な基準は示し続ける。
言葉にすれば簡単ですが、現場ではなかなか難しい。
だからこそ、指導者同士で正解のない問いを持ち寄り、自分たちのあり方を見つめる時間に意味があるのだと思います。
崩れた感情の奥には、願いがある
リバウンドメンタリティーは、ただ気持ちを切り替えて元の状態に戻ることではありません。
怒り、悔しさ、悲しさ、不安。
そうした感情を邪魔者として消そうとするのではなく、まず「今、自分はそう感じている」と受け止める。
そして、その感情の奥にある願いに気づく。
悔しいのは、本当はもっと力を発揮したかったから。
腹が立つのは、本当はチームを良くしたいから。
悲しいのは、それだけ大切にしていたものがあるから。
感情の奥にある願いが見えてくると、人はそこからもう一度、次の挑戦へ向かうことができます。
私は、そんな力が選手個人の中だけでなく、チームの文化として根づいてほしいと思っています。
監督・選手・指導者の三つが動く
監督とは、選手への個人支援、新入部員への継続プログラム、指導者の学びをどうつなげるかを話しました。
選手が、自分の崩れ方に気づき、自分で戻る力を育てる。
指導者が、選手をすぐに変えようとせず、その力を引き出す関わりを学ぶ。
監督とは方向性を共有し、こうした取り組みを組織としてどう支えていくかを考える。
この三つがつながって、初めて「戻れる文化」が育っていくのだと思います。
どれか一つだけでは、文化にはなりません。
私一人が、すべての選手の隣にずっと座り続けることもできません。身体は一つです(笑)。
だから目指したいのは、私がいなくても、選手が自分で戻れること。
仲間同士で「今、何が起きている?」と声をかけ合えること。
指導者が、選手の答えを先に奪わず、その可能性を信じて待てること。
そして、崩れた時に無理やり前向きになるのではなく、その怒りや悔しさの奥にある願いに気づき、そこへ向かって挑戦できることです。
まだ成果ではない。でも、始まっている
今回だけで、選手やチームが変わったとは言えません。
選手が日常の中で自分の状態を観察し続けられるのか。
試合中に、崩れたときに自分で気づけるようになるのか。
指導者の気づきが、日々の選手との関わりに表れるのか。
これから見ていく必要があります。
それでも、監督・選手・指導者という三つの層が、同じ日に動き始めた。
そして練習場では、一人の選手が自分から駆け寄ってきて、この半年間の歩みを話してくれた。
これは完成した成果ではなくても、確かな「始まりの証拠」なのだと思います。
なぜ、私は「戻れる文化」をつくりたいのか
私が目指しているのは、強い選手を増やすことだけではありません。
一度のミスや挫折、誰かからの評価によって、自分の可能性まで諦めてしまう人を減らしたいのです。
私自身も、これまでの人生で何度も崩れてきました。
不安で眠れない時期もありました。先が見えず、自分を見失いそうになったこともあります。
それでも、そのたびに誰かの言葉や支えがあり、少しずつ戻ることができました。
だから私は、
人は支えがあれば変われる。
そう信じています。
ただし、いつまでも誰かに戻してもらうのではなく、やがては自分で自分を支え、戻れるようになってほしい。
そして、自分が戻れるようになった人が、今度は仲間の支えになっていく。
一人の回復が、周りの安心につながり、やがてチームの文化になっていく。
私は、その循環をつくりたいのだと思います。
2030年、私は、
誰もが崩れても、自分で戻り、感情の奥にある願いから、もう一度挑戦できる社会をつくりたい。
そして、そんな文化を持つチームを、少しずつ増やしていきたいと思っています。
それは、選手が本来持っている力や可能性を、失敗や評価への恐れによって失わずに済む社会をつくることでもあります。
少し大きなことを言っています(笑)。
でも社会も文化も、目の前の一人が、自分の苦労や今の思いを安心して話せるところから始まるのかもしれません。
秋晴れの爽やかな風の中、生き生きと練習する選手たちを見ながら、そんな未来が少しだけ近づいてきたような、うれしい一日でした。
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