『アンストッパブル』に見る自己成長のプロセス
※この記事では、映画『アンストッパブル』の内容に触れています。
映画『アンストッパブル』を観ました。
正直に言うと、最初は「片脚のレスラーが困難を乗り越える感動物語」かなと思っていました。
もちろん、それだけでも十分に胸を打つ映画です。
でも観終わったあと、少し違うところが引っかかりました。
アンソニーは、なぜ変わっていったのか。
そして、母ジュディは、なぜ自分の人生を選び直すことができたのか。
メンタルコーチとして見ていると、この映画は単なる根性の物語ではなく、人が他人軸から自分軸へ、さらに複数軸へ成長していく物語に見えてきました。
最初のアンソニーは、本当に自分軸だったのか
アンソニーは、最初から強い選手に見えます。
片脚で生まれた。
でも、言い訳をしない。
レスリングで勝ちたい。
自分にはできると信じている。
だから一見すると、最初から自分軸で生きているように見えます。
でも、よく見ると少し違う。
彼の中には、
「片脚だから無理だろう」
「普通の選手とは違う」
「そこまでは行けないだろう」
という周囲の見方に対して、自分はできると証明したいという思いが強くあったように見えました。
これはとても自然なことです。
私たちだって、「無理だ」と言われたら悔しい。
軽く見られたら腹が立つ。
期待されなかったら「見てろよ」と思う。
その悔しさは、人を前に進ませる力になります。
ただ、ここで大事なのは、他人に認められるために頑張ることと、自分が本当に望むものを選ぶことは、似ているようで違うということです。
他人に証明するために頑張っている時、エネルギーは強い。
でも、基準はまだ外側にあります。
認められたら安心する。
認められなければ苦しくなる。
勝てば自分を信じられる。
負けると自分の価値まで揺れる。
これが、他人軸のしんどさです。
他人軸だけでは勝てなくなる
では、アンソニーはなぜ他人軸から自分軸へ移っていったのか。
私は、他人軸だけでは勝てなくなったからだと思います。
「片脚でも普通のレスラーと同じようにできる」と証明する。
「弱くない」と見せる。
「普通と同じだ」と認めさせる。
そのエネルギーで進めるところまではある。
でも、競技レベルが上がるほど、それだけでは勝ち切れなくなる。
なぜなら、相手の土俵で戦っているからです。
そこに自分を合わせようとするほど、自分の本当の強みが見えにくくなる。
アンソニーは、少しずつそこに気づいていったのではないでしょうか。
「普通と同じ」を証明するのではなく、
「自分の身体だからこそできる戦い方」を見つける。
ここで、彼は自分軸へシフトしていきます。
相手の土俵で戦うのではなく、自分の強みが生きる形に試合を持っていく。
これはレスリングだけの話ではありません。
仕事でも、人間関係でも、人生でも同じです。
誰かの正解に合わせすぎると、自分の良さが消えていく。
「普通はこうする」に合わせすぎると、自分の感覚が分からなくなる。
自分軸とは、強がることではありません。
自分の強みと弱みを受け入れた上で、
「では、自分はどう戦うのか」
を選ぶことなのだと思います。
自分軸から複数軸へ
ただ、この映画が面白いのは、アンソニーを「一人で全部乗り越えた英雄」として描き切っていないところです。
彼は自分の人生を自分で選ぶ。
でも、一人で強くなったわけではありません。
母がいる。
コーチがいる。
チームメイトがいる。
家族がいる。
特に印象に残ったのは、大学のレスリング部が廃部になりそうになった場面です。
チームメイトたちが、アンソニーが残らないなら自分たちも残らないという意思を示す。
あの場面は、単なる友情シーンではないと思いました。
アンソニーにとっては、
自分が仲間に支えられているだけでなく、自分の存在が仲間にとっても意味を持っている
と知る場面だったのではないでしょうか。
そして、小学生たちからの手紙。
高校時代の監督が持ってきた手紙には、アンソニーの姿に励まされた子どもたちの思いがありました。
あそこも、ぐっときました。
人間、ああいう場面には弱いです。
あの手紙を通して、アンソニーは気づいたのだと思います。
自分の挑戦は、自分だけのものではなくなっている。
最初は、周囲に認められるためだった。
次に、自分のやり方で戦うためになった。
そしていつの間にか、自分の生き方が、誰かの勇気になっていた。
ここで、彼の軸はさらに広がります。
他人軸。
「周囲に認められたい。できることを証明したい」
自分軸。
「俺は俺の身体で、俺のやり方で戦う」
複数軸。
「自分を信じる。でも人からも力を受け取る。そして自分の生き方が、今度は誰かに力を与える」
複数軸とは、自分の軸を持ちながら、人の支えや思いも受け取れる状態です。
強さとは、支えを受け取りながら、それでも自分の足で立つこと。
そこにアンソニーの成長があったように感じました。
母ジュディの成長も見逃せない
そして、この映画でもう一つ大切なのが、母ジュディの物語です。
アンソニーの物語に目が行きがちですが、途中から私はジュディの方も気になって仕方がありませんでした。
彼女は、家族を守ろうとします。
子どもたちのために踏ん張ります。
母親として何とかしようとします。
でも同時に、夫に依存し、自分自身を後回しにしているようにも見えました。
「家族のため」
「子どものため」
「母親だから」
そうやって我慢してきた。
でも、家が差し押さえられそうになる。
生活が崩れそうになる。
子どもたちを守れなくなるかもしれない。
その現実が目の前に現れた時、これまでの生き方ではもう乗り越えられなくなる。
夫に頼る。
我慢する。
見ないふりをする。
その軸では、家族を守れなくなっていく。
だからジュディもまた、変わらざるを得なかったのだと思います。
依存して耐える母親から、
自分で現実を見て、自分の人生を選ぶ母親へ。
ここにも、心の成長があります。
人は、頭で「自立しよう」と思っただけでは、なかなか変われません。
本当に変わるのは、今までの生き方では乗り越えられない現実に出会った時なのかもしれません。
アンソニーにとっては、証明するだけでは勝てない現実。
ジュディにとっては、依存や我慢だけでは家族を守れない現実。
その現実に向き合わざるを得なくなった時、人は苦しみながら新しい軸を探し始める。
そこに、発達が起こるのだと思います。
いい話で終わらせないために
『アンストッパブル』は、見終わったあとに「いい話だったね」で終わらせることもできます。
でも、私はそれだけでは少しもったいないと思いました。
この映画は、私たちにも問いを投げてきます。
自分は今、誰かに認めてもらうために頑張っていないだろうか。
できることを証明することが目的になっていないだろうか。
他人の土俵で戦っていないだろうか。
自分の強みが生きる形を選べているだろうか。
自分軸を持ちながら、人の力を受け取れているだろうか。
私自身も、けっこう考えさせられました。
人の期待に応えようとして頑張る。
認めてもらいたくて無理をする。
自分の強みより、誰かの基準に合わせようとして疲れる。
あります。
無意識にやってしまいがちです。
だからこそ、アンソニーやジュディの変化が他人事ではありませんでした。
他人の評価に引っ張られていた自分に気づく。
自分の強みが何なのか問い直す。
一人で背負い込んでいたことに気づき、人の支えを受け取る。
そして、自分の生き方が誰かの力になっていることにも気づく。
そうやって人は少しずつ、自分の人生を取り戻していくのだと思います。
自分軸とは、一人で生きることではない。
自分の人生を自分で選びながら、人ともつながっていくことなのだと思います。
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