先日、ある経営者の方とお酒を飲む機会があった。
長年、証券会社で支店長や本部長を務め、
100人を超える組織を率いてきた方だ。
お酒も進み、話も深くなってきたところで、
こんな質問をしてみた。
「これまでの人生で、一番つらかったことは何ですか」
少し間があって、静かに話してくれた。
検査部長時代の話だった。
将来を期待されていた幹部候補の支店長。
いわゆる出世頭の人材だった。
しかし、部下による検査で不正が見つかった。
なんとか守れないか。
別の道はないか。
考えに考えた。
現場ともやり取りを重ねた。
それでも、最終的には守りきれなかった。
「結果的に、左遷させてしまったんです」
淡々とした語り口だったが、
その言葉の奥にある重さは、静かに伝わってきた。
この話を聞きながら、
サッカーの現場でよく出会う場面が頭に浮かんだ。
試合に出られない選手がいる。
調子を落としている選手がいる。
あるいは、評価が分かれる選手がいる。
選手は言う。
「自分はもっとできるのに」
「なんで自分じゃないんですか」
そして私は、こういう場面に立ち会う。
もちろん、起用を決めるのは監督だ。
だから、どうすることもできない。
正直に言えば、
「それでも何かできないか」と思うことはある。
でも、できることには限界がある。
このときに感じるのは、
人は、自分の力ではどうにもできない現実の中で、
それでも誰かと向き合わなければならない、ということだ。
それは、あの経営者の方の話と重なっていた。
組織を守る立場であれば、
- 不正を見逃さないこと
- 公平であること
- 信頼を守ること
これは外せない。
一方で、
- その人のこれまで
- これからの人生
- 人としての思い
これも確かに存在する。
どちらか一方だけで判断できるほど、
現実は単純ではない。
そしてもう一つ感じたのは、
その方が「守れなかったこと」を語っているという事実だ。
もし本当に何も感じていなければ、
この話は出てこない。
むしろ、
- なんとかしようとした
- できる限り考えた
- それでも無理だった
だからこそ、心に残り続けている。
サッカーの現場でも同じだ。
関わっている選手すべてを、
思い通りに支えることはできない。
結果を変えることもできない。
それでも、
話を聞くことはできる。
寄り添うことはできる。
どう受け止めるかを一緒に考えることはできる。
できることは、限られている。
でも、その「限られた関わり方」が、
その人の中に残ることもある。
人は時に、守りきれない。
これは厳しい現実だと思う。
ただ、そのときに何が残るのか。
「守れなかった」という事実なのか。
それとも「守ろうとした」という関わりなのか。
この違いは大きい。
完璧に守ることはできない。
でも、
どう関わったか
どこまで向き合ったか
何を大切にしたか
それは、自分の中に残る。
そしてきっと、それが
次に誰かと向き合うときの“在り方”をつくっていく。
現場にいると、
「もっといい関わりがあったんじゃないか」
「別の言葉があったんじゃないか」
そう思うことは、何度もある。
でも今は、こう思っている。
迷ったという事実そのものが、
その人とちゃんと向き合っていた証なんじゃないかと。
守れなかった経験は、消えない。
でも、その経験があるからこそ、
次に誰かと向き合うときの深さが変わる。
そんなことを、あの夜の会話から教えてもらった。
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