すべてを失って、見えたもの
数年前、私は人生の大きな底を打ちました。 経済的にも、社会的にも、あらゆる「支え」と思っていたものが音を立てて崩れていったとき、 ただ一人、静かに立ち尽くしていた自分がいました。
けれども不思議なことに、底まで落ちても「生活」はできていたのです。 毎日ご飯は食べられて、布団で眠ることができる。 そうした「当たり前」が、どれほどありがたいことだったのか。 失って初めて、心の底から感謝できるようになりました。
そして、気づいたのです。
「すべてを失っても、大丈夫なんだ」と。
その感覚は、他者の期待に応えようと他者から認められようと必死だった自分を、 そっとほどいてくれました。 「このままの自分で、十分じゃないか」と、 初めて心から思えた瞬間でもありました。
その頃から、世界の見え方が少しずつ変わっていきました。 道端に咲く小さな花が「きれいだな」と思えるようになり、 空を流れる雲が「のどかだな」と感じられるようになりました。 風が頬を撫でるだけで、「ああ、気持ちいいな」と思える。
それまでの私は、そんな些細なことにさえ気づけずに、 いつも先を急ぎ、何かを成し遂げなければという思いに追われていました。
でも今は違います。
あれ以来毎朝、 朝のルーティンで心と体を整えています。
今あるものに感謝して1日をスタートします。そうすると、少しずつ目の前の現象に感謝できることが増えてきました。
気づけば 息子たちは家族を持ち、5人の可愛い孫に恵まれました。時間の余裕も心の余裕も出てきました。
関わる人たちも、学生さん、社員さん、指導者の皆さん、サッカーを一緒にやる仲間。 本当にご縁のある方ばかりで、 「嫌な人」と呼べるような存在はいなくなりました。
これは、やり方を変えたからではなく、 在り方を変えたからこそ訪れた豊かさなのだと思います。
自分を信じること。 流れにゆだねること。 今、ここにあるものを味わうこと。
もし今、人生のどこかでつまずいている人がいるなら、 「今あるもの」に目を向けてみてほしいと思います。 そして問いかけてみてほしいのです。
「私は、どんな自分で在りたいのか?」
その問いが、あなたの新しい豊かさへの扉を開いてくれるかもしれません。
たった一人でも、この文章を通して何かに気づいてくれる人がいれば、 私はそれだけで十分に、幸せです。