肩書きを失った時に、本当の役割が見えてくる

若手の指導者とセッションをした。

テーマは、役割が変わったことについて。

これまで任されていた立場から、少し違う立場へ変わった。
詳しい事情は書けないが、本人の中には悔しさや悲しさ、不安があった。

「もっとチームに貢献したかった」
「自分の力を証明したかった」
「この先のキャリアはどうなるのだろう」

そういう気持ちが出てくるのは、とても自然なことだと思う。

役割を外された時、人は傷つく。

だから、すぐに前向きにならなくていい。
私も同じ立場なら、間違いなく傷つく。

セッションでは、まず出来事と感情を分けた。

役割が変わったこと。
それに対して、悔しい、悲しい、不安だと感じていること。

そして、その感情の奥にあるものを一緒に見ていった。

悔しいということは、本当はもっと貢献したかったということかもしれない。
悲しいということは、その役割を大切にしていたということかもしれない。
不安ということは、指導者としての未来を真剣に考えているということかもしれない。

感情は、自分が大切にしていることを教えてくれる。

その奥には、大切にしたい望みがある。

肩書きが変わると、一瞬、自分の価値まで下がったように感じることがある。

でも、本当にそうだろうか。

肩書きがなくなっても、残っているものがある。

選手を見る力。
選手との関係性。
スタッフとの橋渡し。
チーム全体を感じ取る力。
誠実に関わろうとする姿勢。

それらは、役割名が変わっても消えない。

むしろ、ここからは肩書きで動かすのではなく、関わり方で貢献する段階に入ったのかもしれない。

これは、指導者にとって簡単なことではない。

肩書きがある時の方が、ある意味では分かりやすい。
指示もしやすい。
周りも見てくれる。

でも、肩書きが変わった時にこそ、その人の本当のあり方が見えてくる。

崩れた後に、自分の強みと次の貢献に戻れるか。

そこに、指導者としての深みが育っていくのだと思う。

などと偉そうに書いているが、私自身も肩書きにはけっこう弱い。

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