ある日、思いがけない連絡が届きました。
自分が時間をかけて言葉にしてきたものを、ある影響力のある方から紹介したいと言ってもらえた。
そんな内容でした。
とても嬉しかったです。
ただ、少し時間が経ってから、ふと思いました。
これは本当に突然起きた幸運なのだろうか。
もちろん、ありがたい出来事であることに変わりはありません。
でもよく考えてみると、その前にはいくつもの日常がありました。
選手の話を丁寧に聴く時間。
試合を観に行く時間。
資料を作り直す時間。
文章を何度もリライトする時間。
そういうものが、少しずつ積み重なっていたのかもしれません。
そこで浮かんできた言葉がありました。
日常が、最後の一瞬に出る。
一銭にもならない仕事への不安
その日も、午前中からいくつかの仕事をしていました。
選手との個人セッション。
チーム向けのグループセッション資料作成。
コーチングラボの準備。
どれも大切な仕事です。
ただ、その場ですぐに売上になるものばかりではありません。
買い物をしながら、ふと思いました。
「今日やった仕事は、一銭にもならないけど、これでいいのだろうか」
これは個人事業主として、とても現実的な感覚です。
きれいごとだけでは続きません。
暮らしがあります。
売上も必要です。
請求書もあります。
家賃も待ってはくれません。
たぶん電気代も、こちらの志までは汲み取ってくれません。
だから、すぐにお金にならない仕事をしている時、不安になることがあります。
この時間は意味があるのか。
もっと売上につながることをした方がいいのではないか。
こんなことを続けていて大丈夫なのか。
そんな声が、自分の中にも出てきます。
でも、その後で流れが少し変わりました。
一銭にもならないと思った仕事が、未来の信頼を積み立てていることがあるのだと。
それでも積み重なっているもの
仕事には、すぐに数字になるものがあります。
これは大切です。
軽く見てはいけません。
でも一方で、すぐには数字にならないけれど、信頼として積み上がっていく仕事もあります。
選手の話を丁寧に聴く。
現場に足を運ぶ。
資料を磨く。
言葉を整える。
約束を守る。
相手の成長を願う。
すぐには評価されない仕事にも心を込める。
こうしたことは、その場では売上にもならないかもしれません。
でも、人の記憶の中に少し残ります。
信頼残高に少し積み上がります。
そしてある時、必要なタイミングで姿を変えて現れることがあります。
それを人は「運」と呼ぶのかもしれません。
運は、偶然つかむものではない。
徳を積んだ日常が、必要なタイミングで姿を変えて現れる。
そんなふうに感じました。
サッカーも同じだと思う
これはサッカーでも同じだと思います。
最後の一瞬に力を出す人は、最後の一瞬だけ頑張っているのではない。
普段の練習。
準備。
生活。
対話。
習慣。
そうした日常が、最後の一瞬に出るのだと思います。
試合終了間際に、もう一歩足が出る選手がいます。
苦しい時間帯に、仲間に声をかけられる選手がいます。
ミスをしても、次のプレーに切り替えられる選手がいます。
それは、その瞬間に急に立派になったわけではありません。
日頃から、自分を整えている。
仲間を大切にしている。
小さな準備を怠らない。
うまくいかない日にも、投げ出さずに続けている。
そういう日常が、最後の一瞬に出るのだと思います。
指導者も同じです。
最後に選手に届く言葉は、その場で思いついた名言ではありません。
日頃から選手を見て、考え、悩み、関わってきた時間が、その一言ににじみます。
うまいことを言おうとして出た言葉よりも、日常からにじみ出た言葉の方が、選手に届くことがあります。
名言集を読んでからベンチに入るのも悪くはありません。
でも、試合中に本当に出るのは、普段の自分です。
これは少し怖いことでもあり、希望でもあります。
徳を積むとは、未来の誰かのために今日を整えること
徳を積むという言葉があります。
少し大げさに聞こえるかもしれません。
宗教的な言葉として受け取る人もいるかもしれません。
でも、私は最近、とてもシンプルに考えています。
徳を積むとは、未来の誰かのために今日を整えること。
見返りがすぐに返ってこなくても、今日できることを丁寧にする。
誰かの話を丁寧に聴く。
資料を少し見やすくする。
約束を守る。
相手の成長を願う。
その場では評価されない仕事にも、できる範囲で心を込める。
それは派手なことではありません。
むしろ地味です。
でも、そういう地味な行いが、信頼の土台になることがあります。
そして信頼が積み重なると、ある時、運の通り道になるように思います。
もちろん、徳を積めば必ず良いことが起きるという単純な話ではありません。
人生はそんなに都合よくできていません。
ただ、日常を丁寧に整えている人のところには、誰かが思い出してくれる瞬間がある。
「あの人に聞いてみよう」
「あの人の言葉を紹介してみよう」
「あの人なら大丈夫かもしれない」
そんな形で、道が開けることがあるのだと思います。
崩れても戻ってきた日常
自分自身のことを振り返っても、ずっと順調だったわけではありません。
これまでの人生で、何度も崩れてきました。
思うようにいかない時期もありました。
先が見えない時間もありました。
でも、そのたびに少しずつ戻ってきました。
だから今、選手や指導者に対して、こう伝えたいと思っています。
崩れるな、ではなく、崩れても戻ってこられる。
今回の出来事は、自分が積み重ねてきた日常が、少しだけ形になった瞬間だったのかもしれません。
もちろん、自分がすごいと言いたいわけではありません。
むしろ、まだまだ足りないことばかりです。
ただ、日常を丁寧に積み重ねることには意味がある。
すぐに報われなくても、誰かの役に立つ準備になっていることがある。
そのことを、少しだけ教えてもらった気がします。
日常が、最後の一瞬に出る。
だから今日も、目の前の一つを丁寧に整えていきたいと思います。
大きなことはできなくても。
派手なことはできなくても。
せめて、今日の自分にできる一つを。
それがいつか、誰かの安心の水を少し増やすことにつながるかもしれません。
コメントを残す