なぜ私は尾畠春夫さんに涙したのか

先日、ある一本の動画を見て、私は涙が止まらなかった。

登場していたのは、
大分県のボランティア・尾畠春夫さん。

78歳を超えてなお、
災害現場に駆けつけ、
行方不明の子どもを自ら探し、
黙々と復旧作業を続ける。

そして、インタビューでこう言う。

「当たり前のことをしただけです」

なぜ私は、この言葉に涙したのだろう。


尾畠さんとはどんな人か

尾畠さんは、若い頃に丁稚奉公を経験し、
とび職を経て、鮮魚店を営んできた方だ。

特別な肩書きがあるわけではない。
著名な思想家でもない。

だが、災害のたびに現れ、
名乗りもせず、見返りも求めず、
ただ淡々と働く。

テレビが来ても、
「取材なんていいから、早く復旧を」と言う。

評価も報酬も求めない。

それなのに、
誰よりも生き生きしている。

私はそこに衝撃を受けた。


五段階プロセスで考えてみる

私はこれまで、人の成長を五段階で考えてきた。

第一段階 生存
第二段階 所属
第三段階 承認・評価
第四段階 自立
第五段階 貢献

多くの人は第三段階にとどまる。

評価されたい。
認められたい。
すごいと思われたい。

もちろん私の中にも、その癖は残っている。

だが尾畠さんは、明らかにその段階を超えている。

評価のために動いていない。
役割のために動いていない。
肩書きのために動いていない。

ただ「そうしたいから」動いている。

これは第四段階の自立を経て、
第五段階の貢献に重心がある人の姿だ。


なぜそこに到達できたのか

ここが、私が本当に知りたいところだ。

どうやって、この心境に至ったのか。

私の仮説はこうだ。

第三段階を超える人は、
どこかで“無条件の愛”を受け取っている。

幼少期かもしれない。
人生の途中かもしれない。

あるいは、どん底の経験を通して、
「存在そのものが価値だ」と体感したのかもしれない。

尾畠さんも、丁稚奉公や厳しい労働を経験している。
時代的にも、楽ではなかったはずだ。

もしかすると、
厳しさの中で人の温かさに触れたのかもしれない。

もしかすると、
苦労を通して「生きているだけでありがたい」という感覚を
身体で知ったのかもしれない。

感謝は、
順風満帆な人生から生まれることは少ない。

むしろ、どん底を知った人のほうが、
日常を尊ぶ。


なぜ私は涙したのか

正直に言えば、
以前の私なら、ここまで涙は出なかったかもしれない。

「すごい人だな」で終わっていたと思う。

だが今の私は違った。

評価を超えて生きる姿に、
自分の未来像を重ねてしまったのだ。

とはいえ、
私はまだ完全に評価を手放せているわけではない。

整っている自分を見せたくなる瞬間もある。
称賛されたい自分も、まだいる。

だからこそ、
あの「当たり前のことをしただけです」という言葉が
胸に刺さった。

私は、その静けさに憧れたのだ。


今日のセッションで思い出したこと

今日、19ヶ月のリハビリを乗り越えた学生と話した。

膝を痛め、手術し、再発し、また手術し、
ようやく復帰が見えてきた。

彼は言った。

「普通に練習できることが、こんなに嬉しいとは思わなかった」

当たり前が、当たり前でなくなったとき
感謝は自然に生まれる。

尾畠さんも
どこかで当たり前を失った経験があったのかもしれない。

だからこそ、
「今できること」を、淡々とやる。


私にできること

尾畠さんのように生きられるか。

正直に言えば、
まだわからない。

だが一つだけ確かなことがある。

私は、
評価のためではなく
収入のためだけでもなく
「やりたいからやる」という仕事が増えている。

今日の三人のセッションも
誰が見ていなくても楽しかった。

これが重心の変化なのかもしれない。

尾畠さんを応援したくなったのは
きっと自分の中の未来の第五段階が
小さく反応したからだ。


まだ途中

私は完成していない。

まだ揺れる。
まだ迷う。
まだ評価も気になる。

だが、それでもいい。

第三段階の癖を抱えたまま
第四段階へ、そして第五段階へと
重心を少しずつ移していく。

尾畠春夫さんは
私の未来のモデルを見せてくれた。

だから私は涙したのだと思う。

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