こんな一日の使い方、もっと早く知りたかった

今日は
予定を詰め込まない一日を過ごしました。

何かを学ぼうとか
成果を出そうとか
そういう目的は特に持たずに
ただ出かけました。

それなのに
家に帰るころには
とても満たされていて
「ああ。いい一日だったな」と
自然に思えたのです。

こんな一日の使い方
もっと早く知りたかったなと
素直に感じました。


向かったのは
鎌倉の円覚寺でした。

リトリートといっても
自分を整えようとか
答えを見つけようとか
そういう気持ちはありませんでした。

ただ歩いて
ただ座って
ただ眺める。

抹茶をいただき
梅を眺め
空の青さに目を留める。

不思議だったのは
「整えよう」としていないのに
勝手に整っていくような感覚が
あったことです。

頭で考えた答えではなく
身体の奥から
「ああ。これでいいんだな」と
静かに落ちていく感じ。


時間を見ると
まだ少し余裕がありました。

せっかく
ここまで来たのだからと
円覚寺の受付の方に
聞いてみました。

「もし一時間くらい
 北鎌倉で回れるとしたら
 どこかおすすめはありますか」

すると
とても自然な感じで
明月院を勧めてくれました。

丸い窓で知られている
あのお寺です。


実際に行ってみて
すぐに分かりました。

ここは
今日の流れに
ぴったりだった。

枯山水の庭は
派手さはないけれど
どこか芯が通っていて
見ているうちに
呼吸が深くなっていく。

そして
あの丸い窓。

外を切り取っているのに
閉じているようでもあり
開いているようでもある。

考えようとすると
分からないのに
感じようとすると
すっと腑に落ちる。

そんな不思議な感覚がありました。


境内には
青い地蔵と
赤い地蔵がいました。

そこに書かれていた言葉が
とても印象に残っています。

空も青い
海も青い。

人間の血は赤く
地球のマグマも赤い。

命は赤い。

理屈として知っていたことなのに
その場で読むと
まったく違う重みで
身体に入ってきました。

ああ
生きているということは
こういうことなんだな
と。


そのあとの
帰り道。

北鎌倉の駅前で
ふと
会いたいなと思っていた人と
偶然すれ違いました。

いつもは
画面越しで見ていた先生です。

でも
実際に立っている姿は
イメージと
何一つ違いませんでした。

無理がなく
静かで
自然な佇まい。

言葉を交わすこともなく
ただ
軽く会釈をしただけ。

すると
ちゃんと
会釈が返ってきました。

それだけのことなのに
なぜか
胸の奥が
じんわりと温かくなりました。

「ああ
自分が大切にしてきた在り方は
間違っていなかったのかもしれない」

そんな感覚が
静かに残りました。


振り返ってみると
今日一日は
何か特別なことを
成し遂げたわけではありません。

ただ
予定を詰め込まず
急がず
今の自分の感覚を
基準にして動いただけ。

それだけで
一日の深さも
広がりも
こんなに変わるのかと
少し驚いています。

円覚寺も
明月院も
庭も
地蔵も
出会いも。

どれか一つ欠けても
今日にはならなかった。

だからこそ
とても濃く
とても静かで
とても豊かな
一日でした。

もし最近
一日を終えたときに
「やり切ったはずなのに疲れている」
そんな感覚が残ることがあるなら。

一度だけ
予定を減らして
目的を手放して
時間を味わう一日を
つくってみてもいいかもしれません。

何かを足さなくても
ちゃんと
満たされる日が
あるということを。

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