ありがとうを言い続けて気づいた、脳のちょっとした変化

ありがとうと言いたくなる一日が増えてきた話

最近、散歩をしながら同じ言葉を繰り返している。
「ありがとう」。

誰かに向けてというより、
歩きながら、呼吸に合わせて、ただ言っている感じだ。

正直に言うと、
「ありがとうを言えば、いいことが起こる」
と信じて始めたわけではない。

むしろ目的はシンプルで、
自分を整えるための習慣だった。


ある日は、朝から体を動かし、
現場で多くの人と時間を共有した。

それぞれが自分の役割を果たし、
楽しそうに汗をかいている姿を見るだけで、
「ああ、悪くないな」と思えた。

また別の日には、
大きな大会の開会式を画面越しに見ながら、
各チームの入場行進に目を奪われていた。

歩き方、姿勢、手足の揃い方。
勝敗とは関係のないところに、
そのチームが積み重ねてきたものが、
はっきりと表れているように感じた。


そして昨日は、
長い歴史の中でも久しぶりに聞くような
嬉しい結果の知らせもあった。

もちろん、それは選手や指導者の努力の結晶で、
自分が何かをしたわけではない。

それでも自然と、
「ありがとう」という言葉が口をついて出てきた。


ここで、少し立ち止まって考えてみた。

もしかすると、
「ありがとうを言い続けたから、いいことが起きた」
のではない。

ありがとうを言い続けていたから、
ありがとうと思える出来事に気づける状態になっていた

だけなのではないか、と。


スポーツ心理学の視点で見ると、
この方がずっと自然だ。

人の感情は、
出来事そのものよりも
その出来事をどう解釈したかで生まれる。

同じ状況でも、
ある人は不満を感じ、
ある人は感謝を感じる。

違いを生むのは、
現実ではなく「認知のクセ」だ。


もう一つ大事なのは、
脳の仕組み。

脳は一度にすべてを処理できないため、
今の心のテーマに合った情報だけを優先的に拾う

  • 不満がテーマなら、不満の材料が増える
  • 焦りがテーマなら、足りない点が目につく
  • 感謝がテーマなら、支えや偶然に気づきやすくなる

つまり、
「ありがとう」を口にするという行為は、
脳に
「今日は、ありがたいものを探してみよう」
というテーマを渡しているようなものだ。


ちなみに誤解のないように言うと、
ありがとうを言っても、

  • 宝くじは当たらない
  • 信号が全部青になるわけでもない
  • 人生が急にイージーモードになることもない

現実は、だいたいそのままだ。

でも、
一日の終わりに
「今日は最悪だったな」ではなく、
「悪くなかったな」
と思える確率は、体感として確実に上がった。


多くの人は、
「感謝できる気分になったら、ありがとうを言う」
と思っている。

でも実際は逆で、
言葉や行動が先で、感情は後からついてくる

これはスポーツでも同じだ。

  • 自信があるから姿勢が良くなるのではなく
  • 姿勢を整えるから、自信が生まれる

「ありがとう」は、
気持ちを変えるための魔法の言葉ではなく、
感情を整えるためのスイッチ行動なのだと思っている。


この習慣が、
誰にでも同じような変化をもたらすかはわからない。
再現性を断言するつもりもない。

ただ少なくとも、
自分の毎日は少し静かになり、
少し温度が上がり、
振り返ると
「ありがとうと言いたくなる一日だったな」
と思える日が増えた。

それだけで、
続ける理由としては十分だと思っている。

今日もまた、
特に理由もなく、
散歩しながら「ありがとう」と言っている。

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