感謝を続けていたら、人生が少し静かに動き出した
― 想定していなかった出来事が重なった一年の記録 ―
最近、人生が大きく変わったという実感はありません。
でも振り返ってみると、どこか静かに、確実に動き始めているような感覚があります。
具体的なチーム名や個人名、媒体名は伏せますが、この一年、僕が関わっているチームや選手たち、そして自分自身の人生の中で、想定していなかった出来事が立て続けに起きました。
正直に言うと、「こうなったらいいな」と思っていたことはあります。
ただ、「まさか本当にそうなるとは思っていなかった」。
そんな結果ばかりでした。
不思議なのは、それらが努力量を増やした結果でも、何かを強く狙った結果でもなかったことです。
起きたあとに、「ああ、そうなったんだな」と受け取っている感覚に近い。
去年の今頃を思い返してみると
去年の今頃も、自分の人生では初めての流れを感じていました。
そして今年は、また別の形で想定外の出来事が続いています。
共通しているのは、
「準備万端だったわけでも、狙っていたわけでもない」
という点です。
気づいたら、話がつながっていた。
そんな感覚です。
自分の中で続いていた、ただ一つのこと
この一年で何か特別なことをしていたかと考えると、
思い当たるのは一つしかありません。
それは、自分の状態を整えることを大事にしていたということ。
毎朝のルーティン。
そして、感謝する時間。
いわゆる「ありがとう禅」と呼んでいる習慣を、淡々と続けていました。
未来を引き寄せようとしたわけではありません。
ただ、
- 今あるものに目を向ける
- 足りないものより、すでにあるものを感じる
- 心と身体をリソースフルな状態に戻す
それを繰り返していただけです。
なぜ「想定外」が起きやすくなるのか
今のところ、僕なりの仮説はこうです。
結果を強く求めすぎると、人は「想定できる範囲」しか受け取れない。
一方で、
- もう十分だと感じている
- 何かを証明しようとしていない
- 今の状態を信頼している
そんなとき、自分の想定の外にある出来事が入り込む余白が生まれる。
この一年の出来事は、その余白に入ってきたもののように感じています。
これは特別な話ではない
これは才能や運の話ではありません。
特別な人にだけ起きる話でもないと思っています。
自分の内側を整え、
結果を急いで取りに行かず、
起きたことを静かに受け取る。
それだけで、人生は思っているより自然に動き出す。
これは結論ではなく、途中経過の記録です。
また時間をおいて、続きを書くことになるかもしれません。
もしこの文章を読んで、
「少し自分の状態を整えてみようかな」
そう感じてもらえたなら、それで十分です。
結果は、あとからついてくるものなので。
