フローに入れなかったあの頃の自分に、今ならはっきり言えること
――足りなかったのは、努力じゃなく「感謝」だった――
先日、フローやゾーンについてのコラム取材を受けました。
取材自体は穏やかに進み、話している内容も、これまで現場で感じてきたことばかりでした。
取材後、そのまま撮影に向かったのですが、
エレベーターを降りた瞬間、少し不思議な感覚になりました。
そこは、昔、会社員時代に働いていたのと同じビル。
しかも当時とは違い、今回は最上階での撮影でした。
場所は同じ。
でも、立っている自分の「心の状態」は、まったく違っていました。
あの頃の自分は、「努力が足りない」と思い込んでいた
会社員時代の私は、
結果が出ない理由を、いつもこう考えていました。
「まだ努力が足りない」
「もっと頑張らなきゃいけない」
今思えば、それは思い込みでした。
足りなかったのは、努力ではありません。
感謝でした。
当時の自分は、
- できていないこと
- うまくいっていない部分
- 足りないもの
そんなものばかりに目が向いていました。
あるもの、支えられていること、
すでに受け取っているものには、
ほとんど意識が向いていなかったと思います。
フローに入れない人が、実は見落としていること
取材の中で、
「なぜフローやゾーンに入れないのか」という話になりました。
理論的な説明はいろいろありますが、
現場感覚で言うと、とてもシンプルです。
常に「足りない」という前提で生きている。
- もっと成果を出さなければ
- もっと良い指導をしなければ
- もっと成長させなければ
この状態では、
心はいつも「欠乏」からスタートします。
欠乏の状態では、
人は力み、焦り、余白を失います。
フローとは、真逆の状態です。
今の自分が、あの頃と決定的に違うこと
同じビルの最上階で、
ふと、こんなことが腑に落ちました。
今の自分と、あの頃の自分。
圧倒的に違うのは、感謝の量です。
- 出会ってきた選手や指導者への感謝
- 現場に立てていることへの感謝
- 失敗も含めた経験への感謝
感謝の対象が増えるほど、
不思議と「足りないもの」への執着が減っていきました。
その結果として、
力が抜け、視野が広がり、
気づけば、物事がスムーズに回り始めていた。
フローやゾーンは、
頑張ってつかみにいくものではなく、
感謝の延長線上で、自然に訪れる状態だったのだと思います。
指導者として、もし今しんどさを感じているなら
もし今、
- 頑張っているのに、空回りしている
- 選手のために動いているのに、余裕がない
- 成果が出ない理由を、自分の努力不足だと思っている
そんな状態なら、
一度立ち止まって、問いかけてみてください。
「自分は、何に感謝できているだろうか?」
感謝が増えると、
不思議なことに、
人生も指導も、少しずつ噛み合い始めます。
フローやゾーンは、
才能の問題ではありません。
感謝という土台の上に、あとから育つ状態なのだと、
今はそう感じています。
