支えることが当たり前になった人へ
サッカーの指導現場には、 「選手の未来は自分の責任だ」と信じて疑わない指導者がたくさんいます。
かく言う私自身も、 長く“誰かを支えること”が自分の役割で、 それをやりきることが「生きる意味」だと思っていました。
でも最近、その「支えること」が、 心の中で少しだけ重く感じるようになったんです。
それは、心の声というより、 体の声のようなものでした。
「もう一度、自分自身の人生に立ち戻ってみないか?」
支えることで得た喜びも、確かにありました。
でも同時に、「自分でいなければダメだ」という固定観念に縛られていたのかもしれません。
今、私はその固定観念を少しずつほどいています。
「相手の未来は相手のもの」 「信じて、任せる」
それは、放棄ではなく、新しい信頼の形だと感じています。
あなたは、支えることが“当然”になっていませんか?
あなたがいなくても、選手は育っていける。 それは、指導者としての敗北ではなく、育成の完成形です。
支える役割から、一歩離れてみることで、 見える景色があるかもしれません。
私も今、その過渡期にいます。 だからまだ、きれいに言葉にできるわけじゃない。
でもきっと、この揺らぎの先には、 本当の自由と、自分を生きる力が待っている。
そう信じて、今日もまた、 問いを抱えながら歩いています。