夕方。
昨日のブリ大根を温めながら、ふと考えていた。
依存って、何だろう。
圧力鍋で煮たブリ大根は、味がよく染みている。
ブリの旨みが大根に移る。大根の甘みがブリに返る。
でも、大根が全部ブリになってしまったら料理は成立しない。
味は移る。
でも、溶けてはいけない。
人間関係も、少し似ている。
依存は悪なのか
以前の私は、どこかで思っていた。
依存は弱さだ、と。
でも今は少し違う。
依存は、とても合理的だ。
安心を自分の内側につくるのは時間がかかる。
でも誰かに置けば、すぐに手に入る。
必要とされる。
守られる。
守っていると感じる。
それだけで、不安は静まる。
依存は堕落ではない。
安心を外に置いた状態だ。
私も例外ではなかった。
なぜ惹かれたのか
ある縁があった。
当時の私は、それを「特別な縁」だと思っていた。
意味のある場で出会い、これは運命かもしれないと少し舞い上がっていた。
今思えば、牛の角をちらっと見ただけで
「これは名牛に違いない」と決めつけていたようなものだ。
人は、自分に都合のいい物語をつくる天才だ。
私も、しっかり物語をつくっていた。
守る充実感。
必要とされる高揚感。
年齢差すら、物語のスパイスにしていた。
依存は片側だけでは成立しない。
相手が依存的だったかどうかよりも、
私は「守る役割」に依存していたのだと思う。
安心を外に置いていたのは、お互い様だった。
境界線という学び
関係の中で見えたのは、境界線だった。
助けることと背負うことは違う。
支えることと、全部引き受けることも違う。
森の中では運命に見えた縁も、
森を抜けると「段階だった」と分かる。
十牛図で言えば、牛を追いかける段階から、
少しだけ牛と距離を取れた段階へ。
とはいえ、私は今もときどき牛を探している。
完全に悟ったわけではない。
ブリ大根を温めながら考えている程度だ。
それくらいがちょうどいいのかもしれない。
あなたの安心はどこにあるか
ここでひとつだけ。
あなたの安心は、どこに置かれているだろう。
・誰かの評価
・結果
・役割
・必要とされること
もし外に置いているなら、それは悪ではない。
ただ、揺れやすいというだけだ。
私もずいぶん揺れた。
では、どうするか
依存をやめよう、と言っても簡単ではない。
だから私は、こうしている。
安心を「今日の行動」に戻す。
・今日整えること
・今日書くこと
・今日向き合うこと
ブリ大根を丁寧に温める。
部屋を整える。
ブログを書く。
派手ではない。
でも安心は、こういう小さな積み重ねから静かに育つ。
縁を追いかけなくていい。
自分を整えていれば、
必要な縁は残り、
役目を終えた縁は離れていく。
今回の縁も、私に境界線を教えてくれた。
そう思うと、少しだけ頭を下げたくなる。
森を抜けたと思ったら、また森がある。
でも台所に戻れば、ちゃんと夕飯はある。
ブリ大根はそんなことを考えさせてくれた。(笑)
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